『さよなら絵梨』の衝撃

雑記

少し前まで寒かったのに、急に暖かくなってきた。
ウクライナ情勢、戦闘状況よりも、ロシア軍による蛮行(民間人の虐殺や暴行、略奪)が目立つようになってきた。ロシアの占領地域がウクライナにより奪還され、占領地での蛮行が暴かれているとかいった事情なのかもしれない。幸いにして、戦況事態はウクライナが防衛に成功しつつあるようだ。ウクライナ東部を守りきれるかは予断を許さないけれど、できるだけ早く停戦し、ウクライナに平和が戻れば良いと思う。


pc.watch.impress.co.jp
上記サイトの記事を見て衝動買いしたディスプレイが届いた。
いちおうサイズは調べてデスクに置けることを確認して買ったはずなのだが、届いた箱がおもったよりもデカくておののいている。
週末に開封するつもりだけれど、デスクに置けなかったらどうしよう。床に置くのか。。。?

ゲーム

ポーカーチェイス

プラチナに落ち、しばらく勝てていない。
過去100戦で25回最下位になるともらえる『修行僧』という称号まで手に入れ、へぼプレイヤーとしての実績を解除してしまった。
ダイヤモンドに返り咲きたい。

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トップをとってもダイヤモンドに戻れないポイントの溶かしっぷり。

読書

マルドゥック・アノニマス

バロットがマジで強い。なんというかもはや神格化されてる勢いで強くなっており、映画のバイオハザードのアリスみたいになってる。
ハンター一味とイースターズオフィスの戦いも、ギャングと警察*1の戦いというよりは、巨大犯罪組織と法の執行者の戦いみたいになっている。マルドゥック・スクランブルではカジノでのギャンブルが作中のハイライトであったが、本作ではそれが法廷闘争になるのであろうか。単なる暴力にとどまらない巨大権力の戦いというのは他の小説ではあまり見ない類型なので、読んでいておもしろい。
ただ、いかんせんテンポが悪いので、そろそろ出版ペースを加速して欲しい。

マンガ

ヴィジランテ-僕のヒーローアカデミア ILLEGALS 1巻

ヒロアカ本編は前巻読んでいてアニメも映画も観ているのだが、ヴィジランテは読んでいなかったので読んでみた。
ヒーロー資格のない人たちの話なので、彼らの正義と法的な正統性の間のコンフリクトがテーマの一つにあるのだろう*2。もう一つは、主人公のしょぼい能力で何ができるのか、というところかしら。OFA継承前(習得前)の緑谷のように、個性に突出したものがなくても、その心のあり方はヒーローなのだ、みたいなキャラクターだったら良いな。
ヒロアカ本編とはまた違った演出、切り口なので、こちらも続きを読んでいきたい。

さよなら絵梨

さよなら絵梨 - 藤本タツキ | 少年ジャンプ+

めっちゃ長い読み切りでおなじみの藤本タツキ先生の新作。
物語の展開が2転3転し、着地点がわからないままただただストーリーの展開に振り回された挙げ句に投げ飛ばされたかのような読後感。「最高だったか?」と聞かれると最高だった。
 
【以下ネタバレ】
 



藤本先生は短いエピソードでいろいろな背景を読者に飲み込ませるのが圧倒的にうまく、ずば抜けた演出力を感じる。このあたり、映画ファンということで演出の引き出しが多いのかなぁと思う。コマ割りが少年漫画にあるまじき単調な構成なのも、もちろんカメラの画面を意識した構図なのだろう。それによって作中の現実と作中作の境界が曖昧になり、しかもその曖昧さは事後的に示される。
作中で現実の出来事のように描かれたシーンは、あとでそれが作中の映画のワンシーンだったと明らかになる。しかも、その映画は優太によって編集され、美化されていたことが明らかになる。

「映画の中のお母さんは…! 綺麗な部分だけしか見えなくて…」
「いいお母さんだった…」

「優太は人をどんなふうに思い出すか 自分で決める力があるんだよ」
「それって実はすごいことなんだ」

このセリフは強いメッセージだと思う。
優太が撮っていたのはドキュメンタリーだったから、「真実をありのままに映す」という価値観もあり得る。だけれど、優太はそうしなかったし、優太がそうしなかったことを父親は積極的に肯定している。実際にあったことを編集して、より綺麗にまとめることが力だと言っている。編集によって綺麗なものを残すという行為を、本作品は積極的に肯定している*3
ついでにいえば、本作において、そうした「編集により綺麗なものを残す」のはフィクションでさえないと主張しているようだ。優太の父親は、優太の映画について以下のように述べている。

「…爆発? 爆発かなぁ……」
「優太はちっちゃい頃から何にでもファンタジーをひとつまみ入れちゃうんだよね」

「幼稚園でお父さんの似顔絵描いても顔がドラゴンになってたし」
「みんなで動物園いった時なんかずっとキリンと話してたよ」


優太の映画『デッドエクスプロージョンマザー』の「ひとつまみのファンタジー」は最後の爆発であって、母親を美化したことではない。『さよなら絵梨』の「ひとつまみのファンタジー」は絵梨が吸血鬼であるということであって、メガネを掛けて歯の矯正器具をつけていた絵梨のそれらを取ったことではない*4優太にとって、あるいは映画の観客にとって、裸眼で白い歯の絵梨は真実である*5。本作が肯定する編集による美化という力は、かように裁量の大きい力である。
優太の撮影・編集技術により、後の世には綺麗な母親の記憶が残り、綺麗な絵梨の記憶が残った。それはおそらく優太の母親や絵梨が望んだことであり、優太の父親や絵梨の友人を癒やした。

「あの絵梨さ……ちょっと美化しすぎ」

「だけど……私これからもあの絵梨を思い出す」
「ありがとう」


他方、その癒やしは優太自身には与えられなかったようだ。時系列は大きく飛び、優太のその後の人生とその破滅は淡々と語られる。残りの高校生活と大学生活と就職・結婚・娘の誕生とその喪失はわずか4ページで語られる。『さよなら絵梨』の編集を終えられない優太の時間は絵梨との思い出のなかに置き去りにされたかのようだ。優太の撮影した2728時間の動画は編集のされていない生の絵梨の記憶であり、その動画がある限り、編集された綺麗な絵梨の記憶だけを持って生きていくことはできなかったのかもしれない。
事故で家族を失った優太は、死に場所を「思い出の場所」に定める。母親の死んだ病院ではなく、絵梨と過ごした廃墟である。そして奇跡が起きる。

「恋人が死んで終わる映画って在り来りだから後半に飛躍が欲しいかな…」
「ファンタジーがひとつまみ足りないんじゃない?」
 
「絵梨が僕に喋ってる?」
「絵梨が貴方に喋ってますよ」


絵梨が望み、優太が編集し残した絵梨の映像は、綺麗な絵梨の思い出を残すためではなく、生き返った絵梨が自分を思い出すためのものであった。
人より長くを生き、必然的に周りの人から死別により取り残される、そういう吸血鬼の人生に絶望しないため、優太の撮影した映画が心の拠り所になるのだ。

「でも大丈夫」
「私にはこの映画があるから」


…。
ところで。
再開した絵梨はメガネを掛けていない。優太が残した映画の中で、絵梨はメガネを掛けていないからだ。生き返った絵梨が見ているのは優太によって編集された絵梨の記憶であるが、いまの絵梨にとってはそれこそが真実の絵里だ。そして、ここで思い出してほしいのが、映画を見た絵梨の友人が、優太と絵梨は恋人だと認識していた点である。映画のワンシーンや会話からも、二人が恋仲であることが示唆される。
本作において、編集された映画はファンタジーではなく真実である。つまり、映画の中で恋人に描かれた優太と絵梨は、真実恋人であるはずなのである。

死に別れたはずの二人の恋人の再開。
「恋人が死んで終わる映画」に付け加える「ひとつまみのファンタジー」として、これほどぴったりなものがあるだろうか?

映画の編集が終えられなかった優太への救いは、ようやくにして訪れた。


そのはずだった。



「ラスト… ラストなんで爆発させた?」
「……最高だったでしょ?」






*1:イースターズオフィスは警察ではないが。

*2:いやまぁ、味方サイドに少なくとも一人、完全に法的な正統性をぶっちぎっちゃってる人がいるが。

*3:僕はカメラが趣味なので旅行に行ったときは写真を撮るのだが、観光地で風景や観光名所の写真を撮るときは、できるだけ余計なものが画面に入らないようにする。余計なものというのは例えば通行する人であったり、マンホールであったり、工事中の看板であったり、そういうものだ。撮影する角度や画角を調整してそういったものを映らないようにすることもあるし、あとから写真をトリミングすることもある。僕はそこまでしないことが多いけれど、photoshopを使えば画面の真ん中に映るものを消してしまうようなこともできる。そうした編集をどう評価するかは意見が分かれるところだと思うが、本作は明確に肯定している。

*4:絵梨が吸血鬼であるということもファンタジーではなかったことが後に明かされるし、それは本作のオチに対する伏線でもある

*5:個人的にはメガネを掛けた絵梨も超見たかったけど、まぁそれはさて措く